昭和41年02月19日 朝の御理解



 (途中末尾切れ)
 徳のない間は、心配をする。身に徳を受ければ、心配はない。徳のない間は心配をする。身に徳を受ければ心配はないと。そこに一つ信心させてもらい、お徳を受けて、心配のない日々、不安のない生活、そういうおかげを頂きたいものだと思います。
 頂きたいと思いましても、やはりそこを目指さなければ、おかげは頂かれません。どうでしょうね皆さん。どんな場合にでも心配にならないで済む。毎日が不安のない、有難い日々であるという事。そこを教祖は、はっきり仰っておられます。ね。徳のない間は心配をする。身に徳を受ければ心配はないと。ね。しかもそのお徳というのは、誰でも受けることが出来ると仰る。誰でも、ね。みてるという事がないとも仰る。その誰でもが受けられるのであり、もうこれで良いと言う様に、もう限定されたものでもないと。みてるという事がない。いわゆる限りなく頂けるのである。
 どう言う様なことだろうかと。どう言う様な信心の状態に、こちらがならせて頂いたら、お徳を受けるだろうかと。
 東京の銀座に、銀座東京、銀座教会の湯川という先生がおられる。ここは当時日本一と言われておった、大阪の玉水教会の出社である。あちらのお弟子さんである。と同時にあちらの初代、湯川先生の娘さんが行っておられると思います。あの熊石道の高松つぁんやら実さん達が、おかげ頂いておるとこは、そこの銀座教会に、皆んなおかげ頂いております。そちらなんです。
 それこそ金一升、泥一升と言われるようなところに、あの広大なご建築と、ね。建物とお広前が出来るまででも、そら大した事だったろうと思うですね。銀座の真ん中に、教会を作ると言うのですから、ね。始めからあれじゃなかったと。もう戦後は何もかにも焼け出されて、何にも無いごつなってしもうたち言う。そして第一に祈られ、願われたことは、どういう事であったかというとですね。何にも願われなかった。
 焦点が東京府の再建です。ね。東京市が以前にも増した立ち上がりが出来ます事を、東京の復興をもう唯一心に祈られたと。その為の修行もそのため。ね。東京市が復興する前に復興したのは、どこであったかと言うと、銀座教会であった。お参りがどんどん多なったのは、どこであったかと言うと、どこでもない銀座教会であった。東京一と言われる程に、お供えが沢山集まる様になったのは、やはり銀座教会であった。ね。
 この辺にお願いせんでも、おかげの頂けれるという、信心の道の不思議さと言うものがあるでしょうが。どうぞ銀座教会の復興をお願い申しますと、ね。どうぞ沢山の参拝者を差し向けて下さい。沢山のお供えを集めて下さいなんてお願いしなくってもです。いわゆる湯川先生は、ただ一心に祈られた事はです。東京の復興だけであったと。その為の又修行でもあったとこう。そして東京市の復興の前に、復興したのは銀座教会であった。どうぞどうぞと言うて、もう本当に自分の事以外に願うことは無い。ね。
 それはどういう事になるかと言うとですね。徳のない間は、もう自分のことばっかり祈ります確かに。何故かて自分のことが心配になるからです。自分の身辺のことが、だからこれはね、おかしいことではありません。誰でもそうなんですから。けれども段々信心を頂いて参りますとです。そんならいっちょ私も今日から、その九州中の発展を祈ろうと。ね。九州の発展するなら、家が発展するために、そう言う様なものであっては、だから勿論さらさら駄目だという事。そう祈らなければおられない。ね。
 私共がです、本当に願っていること、一遍ずうっと、その自分の、白真剣に祈っておることの内容をです、ね。思うて見て、自分の信心というものが、まだまだ浅はかな信心だなと。なるほど不安になる、心配になることは、どういう事かと言うと、天下国家の事でもなからなければ、隣近所のことでもない。ただ自分のことであり、自分一家のことだけである。これではなるほど、自分のことが心配になるから、祈っておるのであり、すがっておるのである。
 徳のない間は、仕方がないと言う事になるんだけれど。それでもいけないのです。本当のおかげになってこないのです。願わんでも頼まんでもと言った様なおかげになって来ないのです。自分の目先目先の、小さい事を願う頼む。成程おかげになっても、それだけでしょうが。ね。私は皆さんのことを、お取次ぎさせて貰います。ね。願いもします縋りもします。けれどもそれよりも、もっともっと増して願う事はです。
 私自身が真実助かるために、ね。私自身が助かるというのは、ちょっと大変言葉が今日の場合、ちょっと誤解を招くところがありますけれどもです。ね。問題は私自身がです、神様のお心に叶う、私にならせて頂くためのことを、一生懸命願います。神様の心に叶うもの。神様が喜んで下さること。天地の機感に叶うと、ね。天地の機感に叶う祈りでなからなければいけません。
 昨日でした、ね。私が下がる前でございました、久留米の野口つぁんが、お参りになった。皆さん私がこの頃糖尿病のために、その食生活を養生生活を致しております。ですから、糖尿病にはそのお肉がいいかしわが良いと、食べ物はもう食わんが良うありなさるそうなからと言って、まぁ皆さんが本当に、もう心づくしのものを、お供えを頂きます。で、それを私頂く訳なんですけれども。何時もそのあの食パンのお供えを頂くんです、野口つぁんから。特に昨日は何時もとちょっと形の違う。
 「先生あの、もうこのくらいのことは良かろうち思うちから、今日は先生この、こういうパンを買うてきました」味パン。少しばっかり味が付いておる。ぶどうパンかぶどうが入っておる。それで私が、野口つぁんに申しました。「あんたこりゃ誰にお供えするとか」「親先生に頂いてもらおうち思うてから」「あんたちった馬鹿じゃなかの」て、言わんばかりに私は、昨日は少しひどく申しました。おかしなことですね。私のことを思うて、もう本当に、味気も何もないパンじゃ悪ありなさろうから、ね。
 少しこれならたいした糖分も入ってないし、ぶどうの甘さ位だからこれなら良かろうと思うて、言うなら私の身の上の事を思うてから、お供えして下さったんです「野口つぁん」て私が、あんた私が糖尿病が良くなる為に、私が食生活しとると思うとるか」と私が申しました「分からんねあんた方は」もう私がそれこそ、えげつない位に申しました。「私は自分の為には養生せんよ」と私は申しました「はぁこらどうも済みません、この次からあの食パンを、いわゆる味の付いてないパンを買うて参りますから」と。
 「私にお供えするなら出来ん、こんなもんじゃ」ね。いうならばです、お医者さんがこれはいかんと言われたらもう、いかんものは絶対頂くまいと思う。それは一日でも早う糖尿病から救われたい、助かりたいだけじゃなかて。ね。言うならば「野口つぁん、あんた人のため。いうならば椛目の信者全体のために、私はこれだけの修行させて貰いよるとよ」と私は。「塩気は食べん、糖分は食べんと言うのも、ただ私の身が可愛いから、私がそう言う事をしとると思うとるか。」これと似たような事。
 昨日の朝原さんが、そのお届けをされた。ね。少しこう腎臓病、腎臓でしたかね。顔が少しこう腫れてる。それでまぁ親先生もその糖尿病のために、食生活をなさりよるから。まぁそういう意味の養生を、まぁしたいと言った様な事を言われるから。まぁそれを私は、聞き終わるさきに申しました。原さんにです「あんただん私が養生生活に入っとると言う事をです。ただ医者やら薬やらに頼っとると思うとるか」と私が言うた。以前な、腎臓にはこげな食べ物はいかん。油もんはいかんと。といわれるから私が言うた。
 原さんて、自分の頂きたいものは、有難く頂けば、何でも良かばいと、私が申しました。それに親先生は、糖尿病になってござるとに、あら食べん、こら食べんと言いござるから、自分もそげなんの養生でもしてさせて頂くのが、本当じゃなかじゃろかと、言った様な事を、お届けしようとなさったから、私が途中から話を取ってから申しました。それとこれとは問題が違う。ああすれば助かる、そんなもんじゃなか。これもそうでした。前の月次祭に、私が皆さんが、ここをお掃除を終わってしもうてから。
 後いつも十四五名か二十名か残ります。そすと私が次々とそのお茶を出したりお茶菓子を出したりしてから、まぁ本当に十二時までも一時までもなります。その間一生懸命勿論信心話を致します。ね。だからもう皆んながその疲れておるもんだから、私は早く休ませてから、先生はもう糖尿病でありなさるから、睡眠の時間を沢山取りなさらないかんから、先生早うお休みくださいと、秋永先生が申しますから、私が申しました。
 秋永先生私はあんた私がま一時どん、よかじゃんのと言うて引止めよるけんで、よっぽど私はあんたどんば何かこう、そのたしならってですかね。自分が淋しいから私があんたどんが引き止めとるごと、あんたどんが思うとるのと私が申しました。ね。私はあんたどんがために、何時まっでも眠かばってん、こらえてから起きとるとよと言うた。ね。例えば今日、私が言おうとするところはです、ね。おかげを頂いて、自分のことの上において、例えばほんなら私が、ここにほんなら癌なら癌と医者から言われてもです。
 私は心配ないだろうと自分で今思うとります。ね。はぁやっぱ先生も糖尿病ち言われなさったもんだけん、もうびっくりしてからもう養生に入ってござる。そげなもんだた目が違う。ね。眠らんともあんた達がため。食べぬのも言うならあんたのため。私が為とでも思うとるかと言うてです。まぁそういう風にふうとくの言うちから、怒られるということも有難いと思うですね。そういうことを言えれるということは、私はいろいろ私自身が助かっておらなきゃ言えるこっじゃないと、自分で思うております。ね。
 お供えでもです、神様にお供えして下さい。そしておそばはどうぞ、お子さんにでも、あげて下さいというなら、どんなアンパンだって構いはせん。けども親先生にと言って、持ってきたつば、私が糖分の入ったパンを食べないことは分かっておるじゃないの。でもほんの少しばかり、もうこりゃもう味ちいう味じゃない。もうほんのぶどうの甘さぐらいな。ぶどうは出来んと言うその内容ね。皆さんが一つ、分かって頂かねばならんと、私は思うのです。
 小倉の初代の桂先生は、御本部の前のたびの御造営の時ですね、あのご炎上になりましたとき、あの時のときにです、ね。九州中の上のことを願われた。「飛ぶ鳥も、翼無しにはとばれません。」ね。やはり鳥に翼が必要でございますように、いかに御造営、御造営と申しましても、ね。やはりいうなら、お金無しには建ちません。ためにはどうぞ九州中の信者だけではない。九州中のありとあらゆる産業がです。大発展のおかげ頂きますように。農業の上におきましては、いわゆる五穀豊穣のおかげを頂きますように。
 何時までとは申しません。向こう何年間、どうぞこの桂松平の祈り、願いと言うものを、お聞き届けくださいという、大熱願をかけられた。それが夏に祈願祭と言うのが九州にはございますですね、各教会で。あれはそのことの始まりです。いわゆるそういう大祈願をなさった。桂松平のためじゃなかった。ね。しかも桂松平が祈っているとか、祈っていないとかと、誰も知らんかも知れん。けれどもそれこそ、九州中の大発展を願われ、九州中に確かに、大発展のおかげを頂かれてです。
 沢山の人が、お参りをするようになり、沢山の人が大繁盛のおかげを頂いたという、おかげを頂いておられます。ですから皆さんが段々ですね、ははぁ自分のことを願いよるか、となりの人のこつば祈ったほうが、おかげは余計頂くばい。もう隣んこつよりか、村中のこつを祈った方が、まぁだおかげ頂くと。ね。それこそ日本国中のこつば祈った方が、まぁだ神様は喜びなさると言うて、おかげば頂くけん、それば祈る願うのであっては、しかしおかげじゃなかということ。
 それを祈らなければおられないもの。自分のことなんかは、自分の事なんか忘れてしもうておれれること。ね。そこには私が今日申します、身に徳を受ければと言うこと。身に徳を受ければもう、自分の身なんかは、自分の身体なんかは、問題じゃなくなってくるということ。私は子供のことを願わんでも、家族のことを願わんでも、ね。先生のところには誰も病人もなか。先生はそうにゃ自分方のこつだけは、願いござるじゃろとみなさんが思うかも知れんけれども。
 私はまだ家族中のことは、健康であることのお礼だけは申しますけれども。まだお願いしたことはございません。ね。どうぞ生活の上にどうぞ、椛目が立ちますようにと言うて、願ったことは一遍もまだありません。ね。それでも私は、おかげを頂いておるということ。ね。何故願わんかと。私は自分のことは自分の一家のことは不安でない、心配ではない。それだけ私は段々身に徳を受けていきよる印だなと、自分で思うのです。身に徳を受ければ心配はない。なるほどそうだと。徳のない間は心配をする。
 それでほっと自分の心のなかに、起きてくる心配と言う事がです。ね。ほんにこげな心配と言うのが、ひょっとすら、神様が心配なさるような心配じゃなかろうかと、言う様な心配が、だからもっと偉大な、もっと広い深い意味合いにおいての、心配がないことじゃない。あるのはいつもあります。赤の他人の誰のことがです、言われんくらいに心配なことがあります。だから私は椛目では、皆さんがおかげを受けると、こう思うのです。ね。ですからです、皆さんが自分のこと祈っちゃいかんばい。
 先ず自分のことはね、例えばお取次ぎを頂いたらです。自分のことをお取次ぎを頂いたら、もう自分のことはもう、忘れられるくらいにならにゃいかんですね、先ず第一に。自分の、ね。そこんとこを、日々お取次ぎを頂いてとこう言う。どんなに心配なことであっても、お取次ぎを頂いて、親先生にお願いをして頂いたら、もう心配はここに置いていかにゃいかん。そして自分は神様に喜んで頂けれるような思い方に、あり方に少しでもならせて頂くように努めたらいいのです。ね。
 そうして行く内にです。ね。例えば自分の心の中の、神心の強うなってから、赤の他人の、誰の彼のことでも、祈らなけれはおられないようになってくる。難儀な人を見ると、お導き者の顔がなくなってくる。困ったという人の話を聞きゃその人の事を、それこそ袖すりあうも多少の縁、その縁を通じて、祈らなければおられなって来る。ね。私ここにこう座らせていただいて、もう引っ切り無しに、あぁやって自動車が、もうそれこそここは、スピード出してよいところですから、スピードで走ってます。
 もう本当に何時も祈っとります。特にキーっと言うたら、あの単車が走ってる時なんかはもう、金光様もう祈らにゃおられません。どうぞもう本当に無事に、それぞれの目的の地に着かせて頂いて、交通事故から逃れることのおかげの頂けますようにと言うことを、もう本当に、祈らなければおられません。ね。あのねもう本当に、自分の心のなかの、有難い心と言うのはです。自分が何か誰彼のことをですよ。
 赤の他人の言うなら、誰彼の事をです、一生懸命お願いをしておる事に、ぽっと気が付いた時、もう本当に自分で、自分の心が拝みたいごとある時は、そういう時ですよ。信心とは、神様を拝む稽古じゃなく、吾と和賀心を拝む稽古だと言われておるくらいです。ね。ほんならいっちょ自分の心ば拝もうと思うたっちゃ、あさましゅうして応えん心を拝まれせんでしょうもん。我情我欲の一杯である心を拝まれんでしょうもん。
 けれどもです、ね。ぜんぜん関係のない、誰彼のことでもです、何か親身になって祈っておる自分に、ふっと気が付く時です。本当に自分で自分の心を拝みたいごとある。ね。そこに、私の助かりというものが、私一家の助かりというものがあると言う様な、一つ体験を、いよいよ、つんでいかなければなりません。それが徳になるのです。ね。徳のない間は心配をする。身に徳を受ければ心配はない。はぁ自分がまぁだ自分の目先の、こんくらいのことは不安で不安でたまらん。自分方一家のことがもう本当に、ね。
 先日ある方が、ここで熱心に信心しておる方が、お届けするんです。子供が高校の試験を受けます。ね。まぁここで本当に、手本のように言われておる人なんです。先生学校の先生が見えて、お宅の子供さんな、ちっとどうも心配だから、ちょっとその影から行ってからこうちょっと、まぁお菓子箱どんいっちょもって行ってから、頼んどいて下さいと言わしゃった。ね。もう私はもう本当に心の中でですね。もうこの人達が手本のごと言われておる信心な、こん位なこっじゃろかと私は思うた。するならせんのと。
 ばってん日ごろの信心な、どこさんやったのと、まぁ言う様な意味のことを申しました。ね。もうしゃっちもっち、その学校に入らんならんと思うから、そげんでしょうが。死ぬまいと思うから疲れるのである、ね。神様どういうおかげを下さろうとしておるのか、分からんのであるから。ね。おかげを頂いて出来ました。まぁそういう例の事なら、たくさんあるけれども、こと自分の事になって来るとです。もうそんな簡単な事が、例えば十年も十五年も信心の稽古したって出来んでしょうが。
 神様に熱心にすがるよか、学校の先生にでん縋ろうとしておる。信心がないなら薄いなら仕方がない。日頃の信心をどこさんやったか。自分のことがやっぱり心配になるから、そんなことになるのですよ。ね。身に徳を受けてない証拠ですよ。身に徳を受ければ心配はないと。ね。そういう時にです、自分の信心は本当なもんじゃないことを、いよいよ分からせて貰うてです、いわゆる神の機感に叶う、天地の機感に叶う、天地の芯に通ずるような信心を求めての信心に、段々なっていかなければならん。東京の復興を願われたら、一番先に復興したのは、やはり銀座の教会であったという様な、ねぇ。そこに私共の信心のなかに、神心が強うなっていかなければいけんのです。
 今日、私、どうしてこういう事を申しておりますかと言うと、今日御神前に座った途端にですね、合楽教会のことを頂いてから、合楽のね、地元の繁盛を願えと、神様がおっしゃいました。
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